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講師の採用――「優等生」と「子供好き」はNG?!

中規模以上の学習塾や個別指導塾では最初からある程度の講師や助手を準備しておく必要がありますが、個人経営の学習塾でも塾長一人で切り盛りできるという当初の計画通りには行かないこともあります。
急な病気や法事で代わりの人が必要になったり、順調に生徒が集まってクラスを増やすことにしたとか、夏・冬・春の休暇中には昼間も別メニューで特別講習をやってほしいと父母から頼まれて人手が足らなくなるかもしれません。
また、塾長は英文科を出ているが、数学は他の人に手伝ってもらった方が効率的だということもあるでしょう。
実際にやってみると分かりますが、一人の講師が一日に英語と数学を同時に担当するのは、準備も含めると大変な負担となります。

都市部では塾講師を派遣してくれる業者もあるので、突発的な事態には助かりますけれども、臨時で来てもらうならそれなりの料金になりますから、常勤の人を直接雇う方が安上がりです。
生徒の数から人件費にまわせる予算により、大学生のアルバイトか、経験者か、あるいはパートの主婦をどこかで紹介してもらうのかといった選択肢も出てくるでしょう。

既に塾講師や家庭教師をやっていて子供の接し方にも慣れている大学院生クラスの人や結婚したばかりで夫の帰りも遅く夕方なら週何日か入ってくれる女子大出身の主婦など、理想としては有り難い人材です。
また、大手の進学塾に「講師」として採用されたものの、実際は「教〝職員〟」扱いで事務全般から教室の掃除まで日夜酷使されるのに悲鳴を上げて数年で辞めてしまった人の中には、将来は自分で塾を立ち上げたいと考えている人もいます。
途中で脱落したといっても、こういった人には、教務はもとより塾一般の運営にも経験とノウハウがあるので、将来のパートナーとして頼りになる場合もあります。

内定者の引き留め策は重要

講師の募集は、新年度をひかえた3月あたりには固めておかなければなりませんが、個別指導塾のように生徒が来てから担当を割り当てるシステムですと、ぜひうちで働いてほしい候補者がいても、まだ適当な生徒がいないので「自宅待機」をお願いしている間に他の塾に取られてしまった…という失敗もあります。
こういった「意中の人」には、新学期が始まってから週に何日かデスク・ワークに来てもらい、教材やテストをつくる手伝いを頼むなど、「引き留め策」を講じることも必要です。

大学のブランドは塾講師に必要か?

履歴書に記された学歴は、親御さんは有り難がるかもしれませんけれども、採否を判断する第一の条件とするのは考え物です。
よく塾経営の指南書に書かれていることですが、出身高校や大学を生徒の前でひけらかすような講師には(教師には禁句である)「こんな簡単な問題もできないのか」と口走ってしまうなど、とかく「上から目線」な人が多く、結局のところ、子供や親からも信頼されないものです。
映画「椿三十郎」(黒澤明監督)の受け売りになりますが、良い刀は鞘に収まっていてこそ良い刀なのであって、むやみに振り回して価値があるものではありません。
面談のときに保護者から尋ねられて「○○ですが、それが何か?」ぐらいにとどめておくのがよいのです。

担当科目は流動的に

次に、募集にあたっては教えてもらう科目を指定するのが普通ですが、多少流動的に見ておく方が良い場合もあります。
教務の捉え方が多少甘い学習塾には、理工学部の大学生には数学、文学部なら国語、英文科なら…と事務的に担当を割り振ってしまい、いきなりクラスを任せて疲れ切って途中で辞めるのも勘定に入れて最初から多めに採用する…というブラックなところもあるようですが、これは必ずしも有効な人材活用をしているとは言えません。

指導方法に長けた英語の教員でも学生の頃は英語の勉強は苦手で、自分の創意工夫によりそれを克服したという人が少なくありません。

逆に、数学が得意な人に、どのようにして問題を解けるきっかけがつかめるのか、具体的に説明してほしいと尋ねると、「なんとなく」「自分でもよく分からない」といった意味不明な答えが返ってくることもあります。
勉強ができる人の中には理屈や説明のつかない病的な「勘」がうまく働いている例も多いのです。
こうした「勘」そのものを人に伝授することは極めて困難です。

つまり、「ある科目が得意で、自分の勉強が良く出来る」ことと、「ある科目について、他の人に分かりやすく説明したり、理解してもらう」こととは、全く別の技能・技術なのです。

得意科目を担当させるのが良いのか?

従って、「自分は英語の読み書きが昔から得意なので、ぜひ英語の指導をさせてほしい」と売り込んできた人がいて、問題を解かせて実際にその通りであったとしても、即採用というのは禁物です。
極めて成績が優秀な子供ばかりが集まる進学塾には、難問奇問をあっさり解いて説明できてしまう〝天才肌〟の教師も必要ですが、ごく一般の学習塾の現場では、「英語のことはまだまだ分かっていない」子供たちを前に、どのように自分を演出して観客である生徒たちを引き付けることができるかを理解している教師の方が有益でしょう。

従って、面接のときには、どこの高校と大学を出て何の分野が得意かといった「自慢話」を聞くのではなく、小・中・高と苦手な科目はなかったのか、それをどうやって克服して入学試験に臨んできたのか、得意な教科のほかにも何か取り組んでみる意欲はないか、といった弱点や急所を突くことも大切です。
こういった嫌な質問をすれば、大学生などは自分は文系人間で理系人間でといった言い訳をするものですが、行きたい大学や学部を絞り込む高校の後半以降ならともかく、小学校や中学校の勉強では文理の区別はほとんど意味がありません。
私立中学を狙うなら数学(算数)と国語、公立私立の高校ならこれに加えて英語は避けて通れません。
極端な話、小学校の低学年の算数なら中学生でも教えられますし、並以上の高校生なら中学生に数学を教えるのはそんなに難しいことではないでしょう。
大学や大学院で研鑽を積んだことよりも、高校までの経験こそ学習塾の指導には役立ちます。

ここまで述べたように、苦手でそれを切り抜けてきたところに自分を売り込む「宝」が埋まっているのであり、そういう苦労がよく分かっている先生ほど児童や生徒の目線に立って教えることが出来るのです。

面接で確認したい生徒に向き合う態度

教える内容ややり方の巧拙を見極めるのは当然として、さらに進んで、この志願者は児童や生徒とどのような態度で向き合い、接するつもりなのか、これも大切なことです。

「自分は子供が好きなので、ぜひ雇って下さい」と職歴もない怪しい人が応募してきたら警戒するのは当然として、竹刀を手にジャージ姿で校内を歩き回るような感じの人も生徒に「畏怖」されるだけです。

といって、「子供好き」で児童・生徒と友だちのように仲良くなれることをアピールしてくる教員志望の大学生が最適かというと、必ずしもそうではありません。

子供たちの「いじめ」は、最初は友だちとして横並びに成立していた関係が、何らかの要因によって「上下関係」に変化して暴発するものです。
年齢に上下があるといっても、教師と児童・生徒の間で一定の距離を置かずにあたかも対等な友だち同士のような接し方をしてしまうと、いじめられないにしてもそれに近い形、簡単にいえば「子供たちになめられる」状況に陥ることだってあります。

こういった注意は、個人塾で少数の講師・助手を採用する場合であっても、事前に研修を行うなどして、経験の浅い学生が失敗を犯さないよう、ぜひ伝えておきたいものです。要するに、休み時間やちょっとした話のときは親しくしていても、「さあ、遊びはここまで。勉強するぞ」といった切り替えをしっかりさせるということです。
そのためには、学校の先生みたいに怖くはないけど、勉強を親切に分かりやすく教えてくれる素敵な人だな…という「畏敬」の念を作り上げなければなりません。

風采や態度、履歴書、雇用条件に加えて、講師の採用にあたってはこうした心構えの有無を確認しておくことも重要なのです。